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トリスタンとベイオウルフ

戦争物キャラを「萌え」対象にしてよいものか

戦争を物語の中心にすえていても、エンターテイメントとしてみる分には、登場人物に「萌え」を感じても構わないと思う。それも一つの作品の見方だし、否定されるものでもないだろう。

ただ、架空とはいえ一つの「戦史」として作品を見る場合、これが微妙になってくる。
そりゃあ、あたしは銀英伝の「帝国軍の双璧」が好きなのだが、それは提督としての能力に惚れ惚れしちゃっているからで、アニメを見るとうっとりするわけ。

だけど、その華麗な用兵術の後ろには少なからずの味方の犠牲と、膨大な敵側の損失、つまり大量な死者の存在がある。銀英伝の艦隊戦だと一会戦あたり数万隻単位で行われるから、仮に一艦につき平均100人(かなり少なめに見積もってます)が乗艦しているとすると、1000隻破壊されるともう10万人の死者がでることになる。最悪なのはアムリッツァ星域会戦で、同盟軍側で2000万人も亡くなっている。東京都の人口以上の人間が死ぬなんて、こんな戦争が許されるのか?いや戦争だから許されるのだろうと唖然とした記憶がある。

被弾した艦艇の中を逃げまどう兵士たちの描写があるけど、これはアニメ史上上位にランクされるんじゃないかと思われるくらいの悲惨さで表現されてます。わたしはこれが恐くて、おちおちバーミリオン会戦が見られない状態になっているけど(汗)、これに目を背けては、真に作品の理解につながらないと自分を励まして見てるわけで。

軍服着せると3〜4割アップでかっこ良く見えるというトリックもあるだろうけど、ただルックス的に好みだからとか、そんな表面だけでみて「好き」とか「萌え〜」とか言ってはあかんのではないのか?という思いが、実は銀英伝にはまってからずっと心のそこでくすぶっているんですわ。
しかも、ここ数年の好きキャラ傾向を考えると、軍服のお兄ちゃんやおっちゃん好きか?な自分になんだか許せない気もしたりする(どのキャラ好きかは、当HPの管理人紹介欄にあるので、興味のある方はどうぞ)。なんだか、上っ面だけで好きになっているような感じがして。

だから、たいして意味ないかもしれないけど、わたしは銀英伝キャラに関して言えば「好き」は使っても、「萌え」は使わないことにしている。自分の好きなキャラがストーリー上で高級軍人で、その采配で多くの人間を殺している(もしくは自分の手を血で汚してまでも)ことをしっかり認識する。そしてそれは戦時中だから許容されていることであって、現実には奨励されることではないということを自分のなかでしっかり把握しておいて、それで改めて「好き」でいたいと思う。
なんて回りくどいことをと思う方もいるかもしれないけど、そうでもしないと「戦争を否定する」良心とぶつかって、結構苦しいのよ、これが。戦争指導者層の活躍がかっこ良く見えるのは当たり前で、その武勲の影の骸を無視して「萌え」とは不謹慎な!って。
そのせいもあって、わたしは銀英伝のBLは受け入れられないのです。っていうか軍隊ものでBLはなんか苦手。

作り話のことなのに、まじめに考えますからね、わたし。
それくらい「好き」だから。


戦争の悲惨さを口でいっておきながら、エンターテイメントとして戦争ものを楽しむのはいかがなものか、という問題は自分の中ではまだぐるぐる回って未解決です。銀英伝にはまる前はそんなこと考えてアニメをみたことなんかなかったのに。ファースト・ガンダムを初めてみたお子さま時代は普通に「ジオンが悪」って思ってましたからね(今だったら、連邦にも問題があることが分かってますから、また困惑しながら見ることでしょう)。
正義が必ずどちらかの陣営にあるわけではなく、それぞれの陣営がそれぞれの大義で戦うのが戦争なのであって勧善懲悪で片付けられるものではない思うと、いやあ下手にロボットアニメなんか見られなくなっちゃいましたよ、もう。


今日はなんだか重くなっちゃった。この話題はまた後日にでもしたいと思います。
by taba-aki | 2005-05-03 23:33 | 主張