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トリスタンとベイオウルフ

非オタが「萌え」を使うと

今日、同じ実習班の男子が「どんな『萌え』ある?」なんてのを雑談しているのを小耳にはさんだ時に、妙な違和感を感じました。

オタでもないヤツに、「萌え」なんて言葉を使って欲しくない!

と、心の中で叫んだワタシは心の狭い人間なのでしょうか。



例えれば、ひと昔の不良が一般生徒が髪を染めるのを許さず、街で染めている子を見つけるやいなや裏道に引き込んで
「あんた、うちらの許可も得んと髪染めてるんじゃねーよ!」
と理不尽に絡むみたいな。

髪を染めることが学校や社会への反発を表し、普通の中高生が髪を染めると「不良だ」と親や先生に怒られた時代(80年代頃)、不良たちにとって「髪を染める」ということは、仲間との連帯意識の一つ。染色をファッションの一部ととる一般人を許すことができないのは当然なんですわ。


ワタシ自身は「萌え」という言葉は、二次元キャラあるいは特定の属性(フェチティシズムに近いかも)に対して好意を寄せる気持ちを表していること、と認識しています。
一般社会的に「そんなものに恋愛感情あるいは性的関心を寄せるなんて!」と忌避されるようなものが「好き」と熱くなれる人、もしくはそういったし好に理解を示すことのできる人のみ、「萌え」という言葉を使う資格があると、そう考えているわけです。

当然ながら、「オタク、キモ!」なんて言っている輩が、電車男などから得た中途半端な知識をおもしろがって使ってる現場を見たら、張り飛ばしてやりたい気持ちにかられます。あんたらに「萌える」という気持ちが分かってたまるかと。
その辺は、例にあげた不良と同じ思考かもしれません。
なかなか社会的に容認されないという点では、不良もオタクも似たようなところがありますから。

何のために、ワタシが自分の「萌えの気持ち」を他人に出さないように努力しているか。
それは、社会的に適合していく為
『オタクなんてキモい』と思う気持ちが普通、そんな風潮をマスコミが煽っている今、
隠れオタの人たちは大なり小なりそういった努力をしているのに、「○○君って萌えない?」みたいな間違った使い方をされると、ますます肩身が狭くなる。

キモいと思うかもしれないけど、本気で好き、それがあってこそ生きる「萌え」。
普通の人が思っているほど、軽い言葉じゃない。


そもそも、「萌え」というのは書き言葉であって話し言葉じゃないから。
オタク特集番組なんかを見ると、「萌え」の連続で痛いったらありゃしない。あれはオタクとして失格だと思います。



硬派だったあの80年代不良たちも、今は一部の地域にわずかに残っている程度でほぼ絶滅し、現在では髪を染める行為もかなり一般化。むしろ髪を染めていない人の方が少なくなって、バージンな黒髪のままでは「重苦しい」といわんばかりにモサ扱いされかねない時代になっているのを思うと、世の中何が普通なのかさっぱり分からなくなっていく。

アニメ、漫画系好きという趣味が読書や旅行なみに普通の趣味として認識され、「オタク」なんてカテゴリーを作る必要がない時代になったら、ごく普通に「萌え」が一般的になるのだろうかと。
そういう社会が来てほしいような、来なくてもいいみたいな....
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by taba-aki | 2006-01-17 21:55 | 主張 | Comments(0)