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トリスタンとベイオウルフ

カテゴリ:大学時代( 64 )

合格発表

やった合格してる!
というわけで、今日は獣医師国家試験の合格発表。
この日を迎えるまでここでネガティブ発言ばかりしていたけど、今となっては笑い話となって本当に良かった。こんなワタシでも4月から獣医師になれることに!
ねぎらいのコメントをくれた方々、影で応援して下さった方々、ありがとう!!


気の小さい私は、ネット発表10時頃に起床すればドキドキしなくてすむまいと前日夜更かしを志したものの、23時頃にひどい頭痛に襲われてしまった。仕方がなく横になっていたらそのまま寝てしまい、毎週楽しみに見ていた深夜アニメの「攻殻機動隊」すら見逃す始末(同じ時間にコードギアスを放映しているので、録画予約は不可能)。
当然のことながら朝は普通に早起きしてしまい、10時までドキドキの朝を過ごすことになった。落ち着かないので部屋を掃除したり皿を洗ったりしていたら10時10分になったので、バクバク飛び出そうな心臓を押さえつつパソコンを起動させて農水省のHPを開いた。

自分の合格を確認したとたん、すごい脱力感。
これで来年国試を受けなくて済む。
内定先に辞退の電話を入れなくて済む。
親に迷惑をかけなくて済む。

いろんな思いが頭を駆け巡った。
1時間くらいして落ち着いたところで、内定先に合格の旨を連絡する。顔も見ていない人に「おめでとうございます」と言われるのはちょっぴりくすぐったい。

午後に大学に顔を出しに行って分かったこと。
うちの大学は新卒者143人中132人合格、既卒者25人中12人合格。そしてうちのゼミは6年生一人と既卒の先輩一人が残念な結果に。でも、落ちた彼は勉強したのは実質1週間でネットゲームばかりやっていたと言うから、ミラクルは起きず当然な結果なのかも。

正直うちのゼミは他のゼミに比べると勉強量全然足りないし緊張感も薄かったと思う。
「なんとかなるんじゃね?」ってノリだっから。
今だから言えるけど、2ちゃんで国試スレを見ていたら、すごい勉強やってんな!って人ばかりで今さらながら焦った。

ダメダメなワタシの勉強はこんな感じ
11月中旬〜
卒論終了後、国試対策授業開始(3週間ほぼ朝から夕方まで毎日)。
勉強会(週2回x2か所)参加、1月上旬まで。
12月 
勉強会の準備に追われる。
中旬ゼミの先生の突然の死去で月末まで全く勉強せず(手につかない)。
クリスマスにあった模試の成績は4割だった(汗
1月 
北大まとめと教科書、時々日獣まとめで勉強。
北大まとめは足りないところを書き込みしながら。あと後期授業の試験勉強。
2月 
模試の復習+過去問(55〜57回)の復習。
52〜54回は時間がなくて無理。模試は府立大のだけ。

日獣まとめの問題演習は1巡どころか1/3くらいしかできなかった。
どの科目も手をつけたけど、全範囲終わった科目は一つもなかった。
過去問は7割とれたのが最高だった。
勉強時間は2月に入ってようやく1日6〜8時間。試験1週間前になってようやく10時間勉強の体制。


書いてみたら、本当やっていないなぁ。
当時はがんばった気でいたのだけど、まさに合格はミラクルだった。素点6割絶対行っていないと思う(点数調整のおかげかも)。
勉強時間が足りないという思いは強かったので、後輩たちには卒論終わったら全力で国試勉強に取り組んでもらいたいと、声を大にしていいたいな。
勉強期間は3ヶ月で十分って、嘘だと思う。
精神的安定を求めるなら、早めの準備が一番かも。
うちのゼミの6年生は追い込まれないとやらないタイプの人間が集まっちゃったから、学内一ノンキな集団だった。試験終了後はうちら全滅か?くらいな勢いで愚痴っていたのだけど、結果的に4人は合格したし良しとしよう。


あと残念なのは、漫画部で一緒だったあの人が不合格だったことかな。
追いコンで「明日試験でもいい」と豪語していたのになー。
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by taba-aki | 2007-03-16 23:22 | 大学時代 | Comments(2)

卒業式

昨日は大学の卒業式だった。

だけど、16日の国家試験合格発表が気になって気になって、新しい門出をするという意識は全くなかった。
何人かの人に「どこに就職するの?」と聞かれて答えても、不合格で全てが水泡に帰するのに...と思うとすごく微妙な感じ。まぁ、誰もがそう思って聞くんだろうけど。



今回の記事は当日のダイジェスト編

当日は嫌になるくらいの大雪だった。前日から雪が降っていたから嫌な予感はしたのだけど。何も卒業式の日に降らなくてもいいのに。道内出身者で当日式典に来る親は大変だろうなと思った。うちの親は卒業式には来なかったけどさ(行きたかったらしいけど)。
生協で申し込んだ袴の着付けが7時頃で、その前にメイクだけ6時に美容院に予約していたにも関わらず、前日夜中2時就寝がたたって結局5時20分起き。
こんな吹雪じゃメイクが崩れる!と思いながら登校し、着付け会場にいく。クラスの友達のほか、部活の後輩たち(4年生)にも会うことができた。
みんな可愛いよ!!

レンタル業者が用意してくれた下着がきつくて、結局胸にさらしを巻くことになったワタシ。背筋がまっすぐ伸びるのはいいけど、ずれないのようにするのでとにかくきつい。


式典自体は大学体育館で10時から11時半過ぎまで。
卒業旅行の疲れも残っていて、式中眠くて眠くて。何度意識を失ったことか!
別に代表で卒業証書をもらうとか挨拶をするとか派手な役回りは回ってこないので、ますます眠い。
なんて感涙のない卒業式だったんだろう。

式の後、講堂にて学科全員の記念写真撮影後、学科別の卒業証書授与式があった。獣医学科143人一人一人渡すので、時間がかかるのなんの。もうゼミ室で担当教授からもらうの形でも構わないのに。
授与のほかにも各種表彰や学部長、同窓会長、北海道獣医師会長のお話があるので、結局終了したのは14時。
朝食をろくに食べていないので、お腹すいちゃった。

一旦ゼミに戻ったあと、後輩たちが昼食を用意して待っててくれた。
ほかの6年生がまだ戻って来ていないので、そのすきにと漫画部の部室の方に顔を出してみる。
OBのOさんしかいなかったけど!
今年度は卒業する部員が多いから結構来ているかな?と思ったんだけど。それぞれで忙しいのかも。ワタシもそうだし。
結局15分くらいでゼミ室に逆戻り。ついでに絵画研究会の後輩にも合ってくれば良かったな。

今度こそ昼食だけど、15時までに袴を返却しなければならないので、また慌ただしく着付け会場に向かう。思いきり15時過ぎていたけど!
それから夕方の謝恩会の準備で衣装変え。16時に美容院を予約していたけど、結局行けたのは45分過ぎ。謝恩会が18時から始まるので時間的にかなりぎりぎりで、友達とタクシーで会場のホテルまで行った。


謝恩会は新札幌のシェラトンホテルで18時から20時まで。
立食パーティーだけど、思った以上に食事のレベルが高い。立食じゃもったいないよ、もっとじっくり食べたいよ!と思う内容だった。
後半はデザート系ばっかり食べていたので、まるでケーキバイキングのよう(笑
2時間ずっと立ちっぱなしだから、なれないパンプスもあって(プラスこの間のディズニーランドでの筋肉痛)足が痛くなっちゃったけど。


今度は21時からゼミの卒業生主催の飲み会を新札幌近くのお店で(同じ店を予約したゼミがほかにも2つほど)。
謝恩会で結構食べたり飲んだりしたので、もっぱら後輩たちに自由に楽しんでもらうという趣旨の飲み会。
ここで、後輩たちから卒業生へのプレゼントと寄せ書きをいただくのだけど、ワタシ、フルーツティーを頂いた。ゼミ室でよく飲んでいるからお茶とか好きそうだと思ってと聞いた。10袋入り6種類!すごいな、一気に紅茶長者になったよ!ということで、ありがたく飲ませていただこう。


23時半頃から、二次会でゼミのJ君宅で飲み直し。
予定どおり思いきりいじられキャラになってるJ君。気の毒だとは思いつつも、面白いので止められなかった。ごめんなさい。
睡眠不足とアルコールのせいで眠気が我慢できなかった。ということで、3時に頃に帰宅。他のメンツは4時頃までいたらしい。


いやぁ、こう書きなぐって見ると、結構ハードスケジュールな日だったなぁ....
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by taba-aki | 2007-03-15 22:38 | 大学時代 | Comments(0)

ゼミの追いコンin洞爺湖

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7,8日はゼミの追いコン。今日洞爺湖温泉から帰ってきた。
札幌からバスで約3時間、江別や札幌はそこそこ暖かかっただけに、まさか洞爺でこんなに吹雪かれるとは思ってもおらず、「パノラマ温泉」といわれても真っ白で湖の風景もよく見えないありさま。
それでも今回は実に温泉三昧の滞在だった。到着後、夕食後、翌日の朝食前と3回入ったので、お肌が少しはしっとりしたかも。


天気が良かったのは翌朝のほんの数時間のみ。
青い湖が部屋から見えてとてもきれいだったのに、9時頃からまた雪景色になってしまった。
写真は、天気が良かった時間に撮ったもの。船着き場にしょっぽいお城がある!と思ったら、遊覧船だった。
動いているのを見た時は、なんともいえない気持ち。
乗ってみたかったけど、時間的に厳しかったのが残念かな。

シーズンオフなせいか、ホテルには客があまりきていないみたい。おかげで露天風呂なんて貸し切り状態。シャンプー類や風呂上がりの化粧水類が充実していて、ガンガン使わせてもらったのだけど、あとで売店で売っている値段をみたら結構な値段だった。貧乏くさいけど、ちょこっとだけ特した気分。



帰りの札幌行きバス停に向かう頃、携帯に就職内定先から電話がかかってきた。住まいはどうされますか?というのが主な内容だったけど、どうやら留守にしている間に配置決定の書類が届いているっぽい。アパートを借りるつもりと伝えたら、向こうで物件をいくつか探してくれるそうな。本当にありがたいことで。
でも、国試が駄目だったら全てが水泡に帰するんだよね。そう思うと、苦い思いも隠せないや。
このブログで弱気発言ばかりしているワタシだけど、いいかげん前向きになりたい。
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by taba-aki | 2007-03-08 23:58 | 大学時代 | Comments(0)

大学最後の後期試験

今日の生理特論の試験で後期試験が終わった。
もっとも、試験日程自体は昨日から始まったばかりで、下の学年はまだまだ2月9日まで続くのだけど、とにかく6年生の分は終了。
1月の授業中にやった試験を含めると、最後の後期試験は全部で4つだった。人によって選択科目が違うし試験のない科目もあったので、他人と数は違うけど、みんなそれくらいだったんじゃないかな。

6年間前期後期あわせて12回の試験(中間試験のある科目も含めるともっと)を、よく耐えてきたなぁ。
再試を受けたのも2、3あったけど、なんとか単位は落とさずにここまでやってきた。4年の頃は、あまりの試験日程のきつさに、何度「もう、今回は死ぬ!」と思ったことか。あれはもう、成績がどうのというより単位さえ確保できれば!という心境だった。
やっぱり専門教科は難しいから、ギリギリでクリアしたっぽいのが多かったような気がする。

今思うと、単位もらったのが奇跡としかいいようのない教科もあったなぁ。
薬理とか反芻動物の内科とか。
あれ、6割とれてなかったもの。


試験が終わっても、結局国試勉強はやり続けなきゃならないから、そこが辛いところ。
今日は、友達と卒業式前の卒業旅行を決めたので、その時に気持ち良く遊べるためにも、悔いのない試験勉強をして国試に望みたいな。
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by taba-aki | 2007-01-31 23:52 | 大学時代 | Comments(0)

T先生の遺品整理

今日の午後、先月亡くなったゼミのT先生のご遺族(奥さんと子供たち)が大学に遺品を取りに来られた。
上司にあたるI先生から手伝いに行くように言われ、その時ゼミ室にいた4人で段ボールを手配して仕分けをすることに。もっとも先生の机まわりは生前のままほとんどそのままにしていたので、どこから手をつけたらいいのやらな状態だったけれど。

大学や研究関係の資料以外の、個人的な物を選別する。映画やアニメでよくある、戦死した僚友の遺品を整理するみたいなシーンそっくりで、まさか自分が立ち会うことになるとはなぁと複雑な気持ちになってしまった。
ロッカーの中の上着や白衣。引き出しの中にあった写真や手紙。実験室で音楽を流すために毎日のように使ったコンポ、と大量のCD・MD。研究以外の私物書籍(そういえば、去年の5、6月頃は作家の谷村志穂さんにご執心だったっけ。彼女が卒業したH大から卒論までコピーしてきてさ...)。
おおよそ中型段ボール5個分くらいになった。ゼミ生で手分けして4階の実験室からせっせと奥さんの車まで運んだ。大学にあるものはほとんど研究データやその関連資料ばかりだから、むしろ少なかったなというのが正直な感想。あと学生時代や留学時のノート類が段ボール3個分ほどあったのだけど、車に積みきれないのと持ってかえってもどうしようもないからと大学に置いていくことになった。


思い出として取っておいたものって、その人が亡くなってしまったらその意味も大幅減少してしまう。そんな現場を目の当たりにした気分だった。だけど、研究成果はその人が亡くなっても、引き継ぐ人が現れればそれはまだまだ生きていることになる。うちらにはまだそんな引き継ぐ能力なんてないけど、このまま埋もれない方法が見つかればいいなと思う。
T先生は亡くなるには若すぎたけど、研究活動で生きてきた証をあちこちに作っていたから、もしかして幸せだったのかもしれない。


ワタシも何か、生きていた証みたいなものを残せるといいな。
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by taba-aki | 2007-01-05 22:35 | 大学時代 | Comments(0)

ゼミのお食事会

12月30日は、毎年I先生宅でゼミの忘年会が開催されるのだけど、今年は過日のT先生死去もあって中止。ただ、I先生が学生には色々お世話になったからと昼に新札幌のSホテルレストランでの食事会に変更になった。
ワタシとしては、4年生、5年生の年末は帰省してしまってI先生宅忘年会に参加したことがないから、帰省をしない今年は結構楽しみしていた。
でもこればっかりはどうしようもない。


最上階のイタリアンレストランの、しかもバンケットルームみたいな部屋に通された時は、まるで晩餐会っぽくてどうしようという感じだった。
個人的には天井の高い、ヨーロピアンな雰囲気のある部屋は大好きだけど、ほかの人はちょっと戸惑ってるっぽい。窓が大きくて眺めもいいもんだから、高い所が苦手なJ君は腰が引けていて見ていてちょっとおかしかった。

料理だって当然のようにフルコース。
見たこともなければ食べたこともない料理が次々に出てくるので、そっちの方に必死。全体的にオリーブオイルをふんだんに使った料理なので、酒が欲しいところだ(忌中ってわけじゃないけど、今回はアルコールはなし)。
料理の説明を聞いても、耳になじみのない食材のオンパレードで聞いた先から忘れちゃう。鴨のローストやほろほろ鳥の卵を使ったのがいくつかあったのは覚えているぞ。

ゼミ室に戻ってネットで調べたら、かなり高級食材だったことに衝撃。そんなことも知らず、味濃いとか塩辛の味がするとか、酒欲しいとか好き勝手言ってた。ちっともその料理の価値を分かっていなかったのだな、シェフの人ごめんなさい。
それと、めったに食べられない料理をごちそうしてくれたI先生、本当にありがとう。


この場にあのT先生がいたら、食材に大興奮していただろうなぁと思うと、ちょっとだけ切なくなっちゃった。
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by taba-aki | 2006-12-30 23:54 | 大学時代 | Comments(0)

国試模試

25、26日と、国試委員主催の模試があった。

問題は大阪府立大の学生さんが作ったもので、時間は9時半からおおよそ本番と似た時間帯で開催。昨日の午前中は100題もあったので、途中で疲れて飽きてしまった。
同じゼミのJ君は、分からない問題は速攻であきらめて次にいくという戦法をとったため、一番で提出して教室を出ていった。
そんな裏事情を知らない他のゼミの人たちの間で「J君天才説」がまことしやかに流れている。
そうやって、彼は自分で意識しないで他人にプレッシャーをかけているんだよ!


それにしても、いくらバベシア原虫やっているゼミに所属しているとはいえ、写真からダニの種を把握して、どの種のバベシア原虫が媒介されるのかなんてわかりましぇん!っていうか、ゼミのI先生曰く「学生の作った問題は解きにくいでしょう」は全くその通りで、結構しんどかった。

12月は勉強会と授業でいっぱいいっぱいで、先週もゼミの先生の葬儀関係で全く勉強していないし(授業も出ていない)、それなりの結果しか出ないんだけど、まぁ、参加してきたということで良しとしよう。



模試の後は、亡きT先生の写真を集める作業をしていた。
遺族の方が知らない、大学での先生の姿を教えてあげたくて、ゼミ室のあちこちから探しかき集めた。
デジカメ時代以前の紙写真はスキャナーで取り込んでせっせとデータ化。今年中にはさすがに終わらないけど、できるだけ早く集めて渡してあげたい。
きっとDVDじゃないと収まらない量になるだろうて。

今年に入ってからの躁状態の時はやたら写真を撮る機会が多くて、実はおもしろ写真がたくさんある。
ドラえもんについて熱く語っている姿を映したムービーなんか、かなりのレアものだと思っているんだけどね〜
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by taba-aki | 2006-12-26 23:35 | 大学時代 | Comments(0)

T先生の葬儀と写真係と

うちのゼミのI先生とT先生は、両者とも個性の強い人間だったけどぴったりなコンビだった。
I先生の方が10歳ほど年上で教室ではいわゆる上司にあたるのだけど、学科の中でアクの強いI先生の下につけるのは同じくアクの強いT先生しかいないし、同様にT先生の上に立てるのはI先生しかいない。そんなことをゼミ生でよく話していたものだった。

それなのに、I先生は信頼していたT先生を失ってしまった。
十数年前の教室創立からずっと一緒にやってきたのに。
I先生が教室運営および外交を担当し、T先生が学生の研究指導を担当というように分業でうまくいっていたのに。
この先、どうなっちゃうんだろう。
担当していた2、3年生の授業とか、5年生の卒論とか、院生の博士論文とか、今度大学院に進学する予定の二人の研究の事とか。



I先生は今回遺族に請われて、葬儀委員長を努めていた。
普段はにこやかで、怒るときも微笑むからかえって恐くて、そして感情の起伏の少ない人なんだけど、今回はかなり精神的にやられたみたいだった。
通夜が行われる木曜日の朝、ゼミ生に説明する時に、なんと彼は涙を抑えきれなかったのだった。通夜および金曜日の葬儀での挨拶でも、涙で何度も声がつまっていた。

それくらい、I先生にとって、T先生はかけがえのない人だったのだった。
第二次ランテマリオ星域会戦の後の、ミッターマイヤー艦隊の幕僚・バイエルラインのように、ワタシはもらい泣きをしそうになりながらこう思ったのだった。多分、一生忘れない。あのI先生が泣いてるよ...
こんな時に銀英伝ネタを持ってくるのは不謹慎だと十分分かっているけど、でも、持ってこないとワタシは自分の涙を制御できそうもなかったから。ロイエンタール元帥の死より悲しいことなんて存在しないんだから!T先生よりあの人の方が好きでしょ!と、ずっと自分に言い聞かせていた。

でも、悲しいことって存在するんだよね、当たり前だけど。

最後のお別れで死顔を初めて拝見したとき、そのあまりにも血の気のない顔に思わず、「ミスター・レンネンみたく、生きているように見せる化粧をしてあげればいいのに!」と心から思った。
ネタっぽい感覚だけど、でも、本当にそうした方がいいって思ったのよ。
許可が出るんだったら、フレデリカさんのようにやってあげたかもしれない。


葬儀中、ゼミの女子はほとんど全員が泣き崩れていた。たぶん、私が一番泣かなかっただろうと思う。もちろん悲しくないわけじゃない。葬儀役員をしている他教室のH先生から「葬儀の進行が分かるように写真をとって欲しい」と頼まれたから。
その時、ワタシには葬儀中ゆっくりと先生の死を悼む余裕すらくれないの?と、ゼミの4年生あたりに代わってもらおうと思った。だけど、心の中でなんとなくだけど、T先生から頼まれたような気がしたのだった。
そういえば先生の生前、頼まれていろんなものを撮影した。羊ヶ丘のクラーク像から果てはゼミで飼っていた蛇の動画まで、デジタル関係はほとんどワタシがやっていた。だから、多分ワタシが撮った方が先生も喜ぶんじゃないかって。
お通夜のあと、遺族たちの控え室のスナップもと言われて戸惑いながら撮影しに伺った時に、先生の奥様に言われた。
「あぁ、覚えています。うちにパソコンを直しに来てくれた人ですよね
確かに3月に先生宅に伺ったけど、記憶に残られていることに驚いた。そして、ワタシだったら写真撮影しても不愉快さは少ないだろうって思ったのだった。


結局、火葬場以外のシーンで、ワタシはろくに席にもつかずに撮影に専念していた。さすがに死に顔を撮ることはできないけれど、それ以外は式の進行の妨げにならない程度にあちこち移動して撮影した。
そして、土日に改めて撮影したデジカメデータの確認をしていたんだけど、撮った写真を見ると葬儀がフラッシュバックで思い出されて、またそれが辛い。
なんでこんな仕事を引き受けちゃったんだろう。
なんで国試勉強そっちのけでこんなことやっているんだろう。

T先生の、最後のお願いだと思うからやっているだけだから。


クリスマスイブに、大学で葬儀写真の整理するという、オツなことはもう二度と経験したくないわな。
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by taba-aki | 2006-12-24 23:59 | 大学時代 | Comments(0)

昨夜は国試勉強会が夜遅くに終了し、戻ってきたらゼミ室には誰もいなかった。
ちょうどその頃、生理学教室の先生がゼミ室にやってきてワタシに告げた。
「T先生が亡くなった」と。

一瞬何のことか分からなかった。
確かにこの日はT先生は学校を休んでいたけど、月曜日は普通に大学で仕事をしていたのに。
T先生はこのブログでも何度か書いた、躁鬱病で春夏に奇行を繰り返していたうちのゼミの先生。彼のために妙な犬のイラストも描いたし、羊ヶ丘にクラーク像の撮影をしにいったり、電波調査に行ったり、いろんなことに巻き込まれた原因を作っていた先生だった。
どうして急に亡くなったのか、その理由は恐くて聞けなかった。
だって、一つの理由しか思い付かなかったから。


残っている人に知らせる為に来たらしいのだけど、一人聞かされたワタシはどうしていいか分からなくて、とりあえずゼミの6年生や5年生に連絡しよう!と電話をかけまくったのだった。
「T先生が亡くなったんだって。」
そう伝えると、電話口の相手は絶句。こっちだって、夢みたいな冗談の気持ちのまま電話したんだもの。
実はこれはワタシの聞き間違いなんじゃないかと半分くらいそんな気持ちだった。
ゼミのI先生は亡くなった先生の自宅に行っているそうで、結局どうしていいのか分からない。無駄にゼミ室掃除をしたり、いったいT先生に何が起こったのかを語り合ったりして、午前4時まで学校に残っていた。


そして20日。午前中に臨時学科会議があったそうで、そこでT先生の死去が正式に伝えられ、学部長がゼミ室に来て詳しいいきさつを話してくれた。
19日の夕方4時に自宅で急変しているのを発見されて、死因は急性心不全。話を聞きながら、やっぱり死んだのは本当なんだなぁと思わずにはいられなかった。

残されたゼミ生の仕事といえば、教室卒業生に訃報を知らせること。
連絡先をかき集め、メールを送ったり、電話をかけたり。とてもじゃないけど授業に出る気はなかった。出席して、ほかのゼミの子に色々聞かれるのも嫌なのもあったけれど。
結局ひと段落ついたのは、夜の10時半だった。


6年生になっていろんなことが起こったけれど、今回のことは最大の事件だと思う。
まさか、あの学生が大好きなT先生がワタシたちの卒業を見送ることなく逝ってしまうなんて想像もしなかった。
研究室の机の上には、火曜日に授業で使うはずだったプリントが置いてあって、参考に読んでいたらしいゲノム関係の本が開きっぱなしになっていた。
先生が亡くなったといっても、先生の部屋はそのまま。だから余計に実感が湧かないのかもしれない。
きっと時間が経つと、じわじわといないことを身にしみるのかも。
明日からお通夜、告別式と続くけど、泣いてしまいそうだ。
だって、前日まで会っていた人に死なれてしまうなんて初めての経験だから。
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by taba-aki | 2006-12-20 23:58 | 大学時代 | Comments(0)

国試受験申し込み

ゼミ室のパソコンより投稿。
今日も勉強会(実動のじゃなくて、掛け持ち先)が終了したのが22時半だった。17時半過ぎから始めたから、5時間ほど。もっとも先週の土曜日の勉強会が10時から22時まであったことを思うと、まだずっとマシ。



勉強会の開始が遅くなったのは、放課後に国試ガイダンスがあったから。
このガイダンスってのが曲者で、メインは受験票の記入なんだけど、それを不備がないように全員で集まって書く。
うむ、高校の時のセンター試験申し込みをみんなで書いた時のようだった。
でもさ、浪人時の大学入試も、公務員試験の申し込みも、一人できちんと書いて出したんだし、そこまで一斉にやらなくてもいいのに。

国試の受験料が13900円と高い上に(収入印紙を購入の上貼り付けという形で納入)、願書代で600円取るという。そこで金とるか、農水省!
ただでさえ、国試勉強用に結構な出費をしているのに、ますます懐が寒くなるし。


ところで、受験票に書く名前は戸籍の漢字を使うようにと言われた。
ワタシの戸籍上の苗字の漢字って、一部微妙に普段使っている漢字と違う。本来あるべき「点」が戸籍上ではないことになっている。そんな間抜けな漢字なんて存在しないのに、大昔、祖父が届けた先の役所でうっかり手違いがあって、そういうことになったらしい。
昔は戸籍も手書きだったから仕方がないところがあるけど、電算化した現在、そこまで忠実に新しく文字作ってまで登録するなよ!普通の漢字でいいよ。


間違えないようにと意識していたら、苗字の漢字の順番間違えちゃったよ(汗
修正液が使えないから、カッターで削って直した。去年は何を勘違いしたのか、間違いの部分を削るのではなく切り抜いてしまった人がいたらしい。先輩からそんなことを聞いていたけど、まさか注意事項にそれを言われるとは思わなかった。
さすがに今年はそんな人はいなかったけど。



それにしても、もう申し込みの時期がきてしまった。
試験まであと2ヶ月だもんなぁ、ちょっと焦ってきちゃった。
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by taba-aki | 2006-12-19 23:57 | 大学時代 | Comments(0)